Category Archives: 音楽

NHK-FMの「A.O.R.三昧」!

いやあ、昨日のNHK-FMの特集はアツかったですね。
朝から晩までA.O.R.を流し続けるという、NHKにしては粋な企画!
最近、NHKって昔ほど堅いイメージないのは正直な気持ち。
こんな40-50代ストレートな企画で1日通すなんてのも素晴らしいw

さてA.O.R.とは「アダルト・オリエンテッド・ロック」という日本独自の呼び方で
本国では今では「アダルト・コンテンポラリー」と呼ばれるジャンル。
1970年代後半から1980年初頭にかけて、チャートを席巻した
「歪まない」「ガナらない」というおしゃれな音質志向の音楽(大ざっぱ)です。

世俗的には「サーフィンはしないけどファッションはサーファー」という
陸(おか)サーファーが街にあふれかえった時代!

今から25~35年前、あなたは何をしてましたか?

当時、小学生だったオイラは両隣に住んでた
年の離れたお兄ちゃん達の部屋やクルマの中でこれらの曲を聴いてたのっす。
だからフェンダーミラー、灰皿に溢れるタバコ、
ダッシュボードに置かれたキツい芳香剤の瓶、
そしてリアウィンドーに貼られたバイバイハンドという映像が浮かぶ曲達。

1976年に発表されたボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」あたりから
(あの名曲「ウィー・アー・オール・アローン」が収録されてます)
この系統のサウンドがどんどん出てくるのだけども、
(ちなみにこのアルバムのセッションをきっかけに結成されたのがTOTO)
ボズの曲ならなんといっても1980年の「ミドル・マン」の「JOJO」!

冒頭のフィルから「あ、これドラムはジェフ・ポーカロ!」とわかるこのグルーヴ。
途中のブレイクの緊張感あふれるタイム感もたーまらん!

ツインドラムでギター複数の編成で男臭いロックをやっていた
ドゥービー・ブラザーズにキーボードのマイケル・マクドナルドが
加入した瞬間に、どんどんサウンドが変化してしまう現象も発生。
ドゥービーのAORといえば、やはりこの「What a Fool Believes」

実は「フットルース」のケニー・ロギンスとの共作のこの曲、
もはやギターなんてどこにも聞こえねえ、というおしゃれサウンドが展開。

このキーボードリフが当時の流行となったのか、似たような曲としては
ロビー・デュプリーの「Steal Away」なんかもよく流れてましたねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=CwKawAZk7f4

クリストファー・クロスの「セイリング」なんかもイイ曲!

ルパート・ホルムズの「ヒム」とか「モーニング・マン」も!
http://www.youtube.com/watch?v=lTGS8-obX3M

そしてやっぱアル・ジャロウの「Mornin’」は外せないっしょ!

お聞きの様にグアーーン!!ってギターなんて入ってなくて
割れる様な声でシャウトなんてしないアレンジばかり。
ロック野郎と思われがちなアッシですが、家では今井美樹聴いてますんでw

ああ、今日はこんな想い出の名曲がずっとラジオから流れていた至福の時間。
素晴らしい企画をありがとでしたNHK-FM!

ブラック・ダイヤモンドのレパートリーの中で
唯一この時代のA.O.R.ヒットと呼ばれる曲は
OZが歌う「星影のバラード」ですか。
元々はボビー・ヴィーの、俗に言う「オールディーズ」ナンバーだったのを

1980年にレオ・セイヤーがおしゃれなアレンジにてカバーしたもの。

2曲の聞き比べもおもしろい!
けど、こうして名曲の想い出は紡がれていくのですなあ。
5人で演奏するにはどの曲も少し楽器が足りなさすぎですが
こういった曲をお届けできる機会があればいいなあ、と思います。

Written by:Eddie(Guitar)

ピアノマンと言えばのビリーさん

雨が続きますが皆様お元気してますでしょうか?
窓辺のマーガレット、あなたのボンジョルノEddieです。

昨日はBaby Faceが京都ケントスに出演でしたし
近隣競合店にも友達が出ていたって事でフラッと京都に行くかいねえ、と
思ってたんですが、色々とやってたら日付変わってましたw

さて、次回の我々のライブまでけっこう日があるので
せっかくのブログ、なんぞウンチクでも書きますかいねえ、と
PCの前でカタカタやっとるわけです。

怒濤の様に新しいレパートリーを加えていってるブラック・ダイヤモンドですが
ふと「あれ、そういえば・・・」という事に気づきまして。

ビリー・ジョエルの楽曲が1曲もない、という事に。

ピアノ詩人とも言われるビリーさん、今ではもう62歳ですが
最近は3度目の結婚をして20代前半の嫁(!)をもらいまして
もうアクティブに音楽活動をしていないわけですが
70年代後半~90年代にかけてはヒットナンバー連発していました。

CDのベスト盤も「何枚あるねん」というぐらいリリースされておる事が
ヒット曲量産の実績の証なわけですけども
お客さんの中にも、「あー、この曲聴いたら当時を思い出す・・・」って人も
多いのではないでしょうか。

僕自身、ビリーさんを聞き始めたのは1983年の「イノセント・マン」から。
このアルバム、前作の「ナイロン・カーテン」の重々しい世界感から
ガラリと雰囲気を変えて、50~60’sオールディーズを基本コンセプトに
レコーディングされた、たいそうポップなアルバム。
レコード会社から「おいおい、こんなん売れんのかいや」とのクレームが
ついたにも関わらず、このアルバムからは大ヒット曲が連発でした。
このアルバム、オールディーズの雰囲気が好きな方には
絶対に「あ、この曲の元ネタってこれや!」と楽しめますぜ。

第一弾シングル「あの娘にアタック」のPV。モータウンですなw
http://www.youtube.com/watch?v=MDsR8R843yw

続いてのシングル「アップタウン・ガール」。
もろフランキー・ヴァリ&フォー・シーズンスですね。
http://www.youtube.com/watch?v=BuP6qadFVmY
ちなみにこのPVに出てくるお姉ちゃんはビリーの二人目の嫁。

とまあ、こんな感じで50’s~60’sの曲調で埋められたアルバムだったので
一発でファンになったのですが、もちろん過去の作品を聴きたくなるのが
ファン心理ってもので、そっからさかのぼって色々聴き始めたのです。

この人、ポッと出てドカンと売れた人ではなく、長い下積みを経て
じわじわとチャートに上り詰めた苦労人。
それが、彼の書く歌詞にも反映されていて
「こんな西海岸なんぞクソっくらえだコノヤロウ。ニューヨークに帰るぜ!」
という「さよならハリウッド」という曲も
後年、ライブバージョンでヒットしております。
http://www.youtube.com/watch?v=Hl22IHX-3Hc
お聞きの通りこれは、
ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を下敷きにしたアレンジ。
もはや、このアレンジは定番とも言えますけどもね(笑)

彼の曲の中でも、最近特に気に入ってるのが
1977年のアルバム「ストレンジャー」に収録されている
「イタリアンレストランにて(Scenes From An Italian Restaurant)」
というナンバー。

http://www.youtube.com/watch?v=po252Jj7P9Q

シングルになったわけでもないこの曲ですが
ドラマチックな展開をするアレンジ、
そしてビリーさんの超絶ピアノテクが楽しめます。
当時(中学生)は何を歌っているのかさっぱりわからんし、
理解しようともしなかったのですが、自分自身が40を超えたおっさんになると
歌詞を読んで、余計にジーンと来てしまうという症状が発生しておりましてw
英詩はこちらのサイトで確認できまっせ

ある男女が久しぶりにイタリアンレストランで会って、昔話を展開するという
歌詞なんですが、この昔話に出てくる男女は本人達の事なのかな?とか
そういう事を考えると余計にこの曲が好きになってしまうのですねえ。

2006年の大阪ドームでのコンサートは、嫁さんと二人で見に行ったんですけども
なんと大阪公演ではこの曲、セットリストから外されておりまして(泣)
名古屋、東京公演では演奏されてたのがとても残念でありました。

ブラック・ダイヤモンドでは今の所、
ビリーさんの曲を取り入れる予定はないですが
尾道のピアノ・マン、マイケルさんに
ぜひともがんばって頂きたい所ですね(笑)

「Continue Reading」以下にこの曲の日本語訳を載せておきます。
興味のある人はぜひぜひこの曲の世界感を堪能して下さいませー。

Continue reading

Written by:Eddie(Guitar)

あの頃のわし Vol.1 [黎明編]

すっかり夜更けでございますが、せっかくの情報発信場所。
なんぞ有効に使わんといかんのう、と思案していると
「せやせや、音楽の話なんぞ書いてみたらどないやろ」と思い立って
ペンならぬキーボードをカタカタと打ち始めたのでございます。

ブラック・ダイヤモンドの中ではちょうど真ん中に位置する年齢のわし。
大人になって5歳違っても「へー、そうなんや」ですむけども
子供の頃の5歳違いっていうのはそらもう、エライ差になりますわね。
わしが小学校6年の頃にハックとマイケルはランドセルしょって
小学校に入学してくるってわけでして、聴いてたもんもそりゃあ違います。

わし自身は小学校4年の頃に、親戚のアンちゃんが持ってきたEP
ザ・ナックの「マイ・シャローナ」(前回の記事に動画アリ)
キッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー(I was Made For Loving You)」

スーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ(Breakfast in America)」
http://www.youtube.com/watch?v=NeT48zbOLiA
の3曲が洋楽初体験。

この瞬間から、ラジオにかじり付きながらノートに曲名を書き留める、という
なんとも健康的な音楽ライフがはじまってしまうわけでして
今はもう亡き「FM STATION」という雑誌(TVガイドのラジオ版みたいな物)を
買って、放送される曲を蛍光ペンでチェックしながら
録音(もうエアチェックという言葉も死んでしまったな・・)しまくってましたw

わしにとってのオールディーズというのは
多分この頃(1980-1984)ぐらいの洋楽ヒットを指すのだと思います。
ジョン・レノンが死んだのもラジオで聴いてました。
なんでアナウンサーの人が泣いてんのか意味わからなかったけど。
(ビートルズの名前すらまだ知らなかったw)

音楽業界はこの後、1983年頃から空前の「プロモーションビデオ」ブームが
訪れまして、マイケル・ジャクソンの「スリラー」みたいに
映画仕立てになったり(予算は1億2000万円だったそうな・・・・)
色々と趣向がこらされ、とても楽しい時代が到来します。

「ベストヒットUSA」とか「POPベティハウス」などで
いろんなPVを見たけども残念なのは
ビデオにカブって小林克也がしゃべったり
クッキーちゃんが「はーい、クッキーでぇーす」と登場すること!
「スリラー」なんてフルバージョンを放映している所なぞほとんどない!
信じられないかもしれないが、レンタルビデオなんてのも当時はない!
それどころかビデオデッキの普及率も1986年でようやく40%を超える時代!

その当時、とても助かった番組が金曜日の深夜にやってた
「SONY MUSIC TV」でありました。
2時間もの間、司会者もなにもなしで音楽PVだけを
ノーカットで流し続けるというなんともありがたい番組!
しかもこの番組、本国の「MTV」をまねて、PVの最初と最後に
「アーティスト」「曲名」「その曲が収録されているアルバム」
を表示してくれてたのです。

中学生になってたわしは、120分3倍速でこの番組を録画して
土曜日に帰宅して新喜劇見てから、このビデオをノート片手にチェックし
夕方にメモを片手にレンタルレコードに行き
日曜日に片っ端からそれを聴く、という生活になっていたのでありました。

・・・・・・不健康ですね。ええ、今でも大して変わらない生活ですよ。

映画仕立てだったりとか凝った作りのPVが増えた中、
ライブシーンのみの構成で印象深かったのが
ブルース・スプリングスティーンの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」のPV。
http://www.youtube.com/watch?v=dNlY0m1ysoQ

今聴いたら、「まあなんてダッサいシンセの使い方ww」って曲ですけども
強制丸刈りハゲ坊主の中学生には、なんともかっこよく見えたもんです。
衣装もジーンズとシャツというシンプルさで、
踊りも正直、微妙なんですけどもねw
最後にチラチラ見てたかわいい女の子をステージに上げちゃう、という
なんともスケベエなアメリカン魂も当時は新鮮でございましたよ。

この曲は1984年のアルバム「ボーン・イン・ザ・USA」からの第一弾シングル。
この時代はシンセが安価になってきた頃で、たいていこういうシンセのリフが
どの曲にも入ってた様な想い出があります。
(ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」もそういえば1984年)

いまはYoutubeとかで、当時保存も難しかったビデオクリップ達を
簡単に見れるってのがいいですね。

また当時のビデオクリップを思い出したらこんな記事を書いてみる事にしますか。

それではみなさん、おやすみなさい。
日曜日に京都ケントスでお会いしましょうー。

Written by:Eddie(Guitar)