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「歌は世につれ~」60年代のアメリカ

「歌は世につれ世は歌につれ」っちゅう言葉がありますが
どんな時代に生み出された曲にも、その時代背景ってのがおますわな。

ラジオとか聴いてて、最近の曲を耳にする事が多いのですけども
世相が歌詞の内容とかに反映されてたりするんですねえ。
長く続く不景気、それに伴う閉塞感のせいか、
「○○とは何だろう?僕は(私は)一体何の為に存在しているんだろう?
いやいやそれでも生きて行かなければならないから」的な悲壮感あふるる詩が
世のヤング達のハートを掴んでいるみたいで、結構複雑。

オイラがティーンエイジの頃は
「くだらない世の中だ。ションベンかけてやろう。
打ちのめされる前に、僕ら打ちのめしてやろう」
とブルーハーツが歌ってたわけで
こりゃあもうアプローチからしてまるで正反対なのが逆におもしろかったり。

我が日本は幸い1945年の終戦以来、
直接(あえてこういう言い方をする)戦争に荷担する事はなかったんですが
アメリカは60年代当初から、ベトナム戦争、冷戦というものを抱えました。
特に北爆が始まったのが1965年ですから、
やはりアーティストが作る楽曲や、映画などの文化にも
それが色濃く反映されるのは仕方ない事で。

戦争なんてえのは国と国との事情であって、
それに動員される人は好きでやってるわけやないですから
もちろん「こんなもん意味あんのか」的な運動が起こってきます。
それが1960年代後半から
ヒッピー~フラワームーブメントという流れを生みます。
色んな反戦歌が作られて歌われたりしました・・・・

が。

しかし、1966年の年間チャートナンバー1は、
なんと本当にグリーンベレー所属でベトナム戦争に従軍した
バリー・サドラー軍曹が歌う「The Ballad Of The Green Berets」
というわかりやすさ。
http://www.youtube.com/watch?v=LH4-tOqLH94
殉死した隊員が妻に「オレの息子をグリーンベレー隊員に育てろ」と
言い残す、いわば戦争賛歌に近い内容の曲です。
この辺の国民の団結力もなかなか理解しがたいもんもありますが
まあ、これも事実。

しかしこの戦争がアメリカという国にとって不利な状況に動き
終わってみて「ありゃあ一体なんやったんや?」と思う人ももちろんいます。
シルヴェスター・スタローン 主演映画「ランボー」の原作が
書かれたのは1972年の事。
映画化されたのは1982年ですけども、
続編の「いっぱい武器出てきてオラオラオラ!」という娯楽部分はさておき
1作目はとても重い雰囲気の映画だったのを覚えてる人も多いはず。

オレは国の為に一生懸命尽くして戦争をやって帰ってきたつもりだ。
 なのに仕事もなく、この仕打ちはなんだ!」と映画のラストで
ランボーが大佐に激白するあのシーンこそが重要なテーマ。

戦後、このテーマで書かれた曲で一番に思い浮かぶのは
ブルース・スプリングスティーンの「Born in The U.S.A.」。
http://www.youtube.com/watch?v=MdZajhVsA6A
この大げさなアレンジ、そして国旗を背負いまくったPVに
「オレはアメリカに生まれたんだぜー!ヒャッホウ!」的な
イメージがまず思い浮かびますが、実際の歌詞は・・・

——————————————————
活気のない街に生まれ
歩きだした途端に落ちこぼれた。
ぶっ叩かれ続けた犬のように
人生の半分を人目を盗んで生きるようになる

オレはアメリカに生まれたんだ。
ここ、アメリカに生まれたんだよ。

地元でトラブルを起こしちまった。
それで奴等はオレにライフルを渡し、
オレは異国の地へ送られた。
黄色人種を殺すために。

オレはアメリカに生まれたんだ。
ここ、アメリカに生まれたんだよ。

戦争から戻って、製油所へ行った 
雇用係が言う。「私の一存ではどうにも」
退役軍人管理局も行ったが 
そこの男が言った「まだ分からんのかね?」

ケ・サーンでベトコン兵と戦った仲間(ブラザー)がいた。
ベトコンの連中はまだ生きているけど、ヤツはあの世行き。
ヤツはサイゴンで彼女が出来て、
オレはそのサイゴン娘に抱かれてるヤツの写真を持ってる。

刑務所のすぐ隣、
精油所からの燃えるガス炎の近くで
オレは10年、煮えくり返る思いで生きてきた。
もう逃げる所もなければ行く所もない。

オレはアメリカに生まれたんだ。
ここ、アメリカに生まれたんだよ。
——————————————————
というイメージとは全く逆の重すぎる内容。
アメリカ人ですら愛国歌と勘違いして
レーガン大統領の再選キャンペーンに利用されそうになったとか。

ベトナム戦争の悲惨さを直接歌った曲としては
ビリー・ジョエルの「Goodnight Saigon」も強烈です。

英詩、和訳はこちらから

アメリカという国がすごいなあ、と思うのは
こういう曲や作品をリリースできて、しかもそれがヒットしてしまう事ですわね。

我々は舶来の音楽に魅せられ、楽器を握り
そしてヘラヘラと(見える、と思うw)演奏してるわけですが、
その曲が生まれた時代背景であるとか、
作者が何を伝えたかったのか、などにも想いを馳せると
また違った思い入れが出てきたりもします。

冒頭に戻りますが、やはり
「歌は世につれ世は歌につれ」
というのはこれからも変わりはしないでしょう。

あ、もちろん、何にも考えずに
バカ騒ぎ出来る様な曲も好きなんですよ。
メッセージ性がないとダメ!みたいな考え方ではないのっす。
「イカス車であの娘誘ってレッツパーリーナウ!」とか大好き(笑)

そういうのを全部引っくるめた「想い出の再構築」の
手助けを我々、バンドが提供できればなあと思っているのです。

さ、次のライブまではけっこうブランクあるんで
がんばってブログ書きますかなw

でわでわ、おやすみなさい。

Written by:Eddie(Guitar)

懐かしの黄色い飲料

メローイエロー

最近、再発されたこいつを入手!
1983年に発売された「メローイエロー」です。
この「黄色いわけのわからん炭酸飲料」、当時は色々ありましたねい。
スイートキッス、マウンテンデュー・・・・・
未だに売ってるらしいんやけども、全然見かけなくなった気が。
・・・それとも興味がなくなったんかいねw

20年ぶりぐらいに飲んだけど懐かしい味でした。
しかし、「こんなに甘かったっけ?」とも。

たぶん年食って味覚がおっさんになったんでしょうな(笑)

これはレギュラー販売されるのかどうかはわからんけども
この夏は間違いなく飲めるらしいですぜ。

あと同時に「スプライト」も復刻されてるそうでw

1983年といえば第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン、
そして、MTV全盛期の頃でしたな。
ニュー・ロマンティックと言われたサウンドが席巻してたあの時代ですよ。
代表格だったのはやはりデュラン・デュランですねい。

セカンドアルバム「Rio」からの2枚目のシングルカットだった
この「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」は
ビルボード3位の大ヒットとなりました。

まあ、当時学生だった女子の方は
ジョン・テイラー(ベース)の男前っぷりに
誰もがイカれてたんではないでしょうかw
クリアファイルに切り抜きいれてそれを下敷き代わりにしたりね(笑)

ちなみに1983年の年間チャート1位はポリスの「見つめていたい」なのでした。

Written by:Eddie(Guitar)

5人ではじめてのおでかけ

おでかけといっても遊びに行ったわけではなくて
れっきとした演奏です。

結成して以来、はじめての京都ケントス以外での演奏。
某ホテルのおっきな会場、広いステージでした。

リハーサル中のスナップ。

真剣なOZさんと、何かを待ち続けるマイケル。

広いステージで5人だとちょっと寂しい気もしましたけど
個人的には暴れまくってましたw
ワイヤレスあったらもっと無茶してたかも知れません。

こうやって次々と色んな経験を重ねていくわけですよ。
バンドというものは(笑)

本日はお招きありがとうございました!

オイシイ名産品とかある土地の方、呼んでくれませんかしら?
温泉とかあって泊まりとかネー。
あとは寝るだけって環境でお酒とか( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー
あ、僕は白いご飯があれば大丈夫ですから。
声が枯れるまで(自分の事ばっか)しゃべり続けますから。

Written by:Eddie(Guitar)