Monthly Archives: 5月 2011

2011/05/29 ライブ終了!

台風が近づく中、京都に向かった本日。
いやあ、ホントこんな日に遊びにきて頂いて
本当にありがとうございました!

本日のセットリストは近日ではなかなかめずらしい
50-60’s多めのライブとなりました。
「ハートでキッス」はおそらく初お披露目。(このメンバーでは、ねw)
「恋のバカンス」「ルート66」はすこしアレンジを変えました。
「ルート66」は昔よくやってたドクター・フィールグッドのアレンジで!
http://www.youtube.com/watch?v=3oTvXbJrqVU
ウィルコ・ジョンソン、この歯切れのいいカッティングは
なんとピックを使わずに指だけなんですぜ・・・・
これはオイラが歌う時だけになりますけども(笑)

Connie姐さんは、歌ってもないのに「歌った」と思い込んで
自分の曲を歌う前にMCをし出すという大事故がw
ライブってのは色々あって楽しい、です。いやいや。

さて、次回の我々のライブは6/5の日曜日。
この時間は早い時間にパーティーがありまして
オープンが午後8時20分になります。
その分、ステージ回数が3回となりますが
しかしこの日はドラムにHiroshiを迎えての6人編成になります。
内容を濃縮して原液のままのカルピスのようなステージを
お送りしたいと思いますので、皆様よろしければぜひぜひ
遊びに来て下さいね!

今日の記事はこれでおし「マイケル」!
「おはようからおやすみまで」ブラック・ダイヤモンドでったー。

セットリストはいつものように「Continue Reading」から確認できます。

P.S.
Connie姐さんとオイラは
80年代初頭、ヤンキーさんの車には横浜銀蝿と共に
必ず常備してあった「アラベスク」を大音量で聴いて
大いに盛り上がりながら帰りましたとさ。

この平成の世、夜中にアラベスクを聴きながら走る車は
そういないと思われる・・・・・

アラベスクについてはまた記事にしよっかなーっと。

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Written by:Eddie(Guitar)

みんなに薦められて…

20110528154328.jpg

ドラムの椅子にバックレスト(背もたれ)装着!

腰の負担、少なくなるかなぁ〜(〃▽〃)

Written by:OZ(Vo,Drums)

あの頃のわし Vol.1 [黎明編]

すっかり夜更けでございますが、せっかくの情報発信場所。
なんぞ有効に使わんといかんのう、と思案していると
「せやせや、音楽の話なんぞ書いてみたらどないやろ」と思い立って
ペンならぬキーボードをカタカタと打ち始めたのでございます。

ブラック・ダイヤモンドの中ではちょうど真ん中に位置する年齢のわし。
大人になって5歳違っても「へー、そうなんや」ですむけども
子供の頃の5歳違いっていうのはそらもう、エライ差になりますわね。
わしが小学校6年の頃にハックとマイケルはランドセルしょって
小学校に入学してくるってわけでして、聴いてたもんもそりゃあ違います。

わし自身は小学校4年の頃に、親戚のアンちゃんが持ってきたEP
ザ・ナックの「マイ・シャローナ」(前回の記事に動画アリ)
キッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー(I was Made For Loving You)」

スーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ(Breakfast in America)」
http://www.youtube.com/watch?v=NeT48zbOLiA
の3曲が洋楽初体験。

この瞬間から、ラジオにかじり付きながらノートに曲名を書き留める、という
なんとも健康的な音楽ライフがはじまってしまうわけでして
今はもう亡き「FM STATION」という雑誌(TVガイドのラジオ版みたいな物)を
買って、放送される曲を蛍光ペンでチェックしながら
録音(もうエアチェックという言葉も死んでしまったな・・)しまくってましたw

わしにとってのオールディーズというのは
多分この頃(1980-1984)ぐらいの洋楽ヒットを指すのだと思います。
ジョン・レノンが死んだのもラジオで聴いてました。
なんでアナウンサーの人が泣いてんのか意味わからなかったけど。
(ビートルズの名前すらまだ知らなかったw)

音楽業界はこの後、1983年頃から空前の「プロモーションビデオ」ブームが
訪れまして、マイケル・ジャクソンの「スリラー」みたいに
映画仕立てになったり(予算は1億2000万円だったそうな・・・・)
色々と趣向がこらされ、とても楽しい時代が到来します。

「ベストヒットUSA」とか「POPベティハウス」などで
いろんなPVを見たけども残念なのは
ビデオにカブって小林克也がしゃべったり
クッキーちゃんが「はーい、クッキーでぇーす」と登場すること!
「スリラー」なんてフルバージョンを放映している所なぞほとんどない!
信じられないかもしれないが、レンタルビデオなんてのも当時はない!
それどころかビデオデッキの普及率も1986年でようやく40%を超える時代!

その当時、とても助かった番組が金曜日の深夜にやってた
「SONY MUSIC TV」でありました。
2時間もの間、司会者もなにもなしで音楽PVだけを
ノーカットで流し続けるというなんともありがたい番組!
しかもこの番組、本国の「MTV」をまねて、PVの最初と最後に
「アーティスト」「曲名」「その曲が収録されているアルバム」
を表示してくれてたのです。

中学生になってたわしは、120分3倍速でこの番組を録画して
土曜日に帰宅して新喜劇見てから、このビデオをノート片手にチェックし
夕方にメモを片手にレンタルレコードに行き
日曜日に片っ端からそれを聴く、という生活になっていたのでありました。

・・・・・・不健康ですね。ええ、今でも大して変わらない生活ですよ。

映画仕立てだったりとか凝った作りのPVが増えた中、
ライブシーンのみの構成で印象深かったのが
ブルース・スプリングスティーンの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」のPV。
http://www.youtube.com/watch?v=dNlY0m1ysoQ

今聴いたら、「まあなんてダッサいシンセの使い方ww」って曲ですけども
強制丸刈りハゲ坊主の中学生には、なんともかっこよく見えたもんです。
衣装もジーンズとシャツというシンプルさで、
踊りも正直、微妙なんですけどもねw
最後にチラチラ見てたかわいい女の子をステージに上げちゃう、という
なんともスケベエなアメリカン魂も当時は新鮮でございましたよ。

この曲は1984年のアルバム「ボーン・イン・ザ・USA」からの第一弾シングル。
この時代はシンセが安価になってきた頃で、たいていこういうシンセのリフが
どの曲にも入ってた様な想い出があります。
(ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」もそういえば1984年)

いまはYoutubeとかで、当時保存も難しかったビデオクリップ達を
簡単に見れるってのがいいですね。

また当時のビデオクリップを思い出したらこんな記事を書いてみる事にしますか。

それではみなさん、おやすみなさい。
日曜日に京都ケントスでお会いしましょうー。

Written by:Eddie(Guitar)